大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和52年(あ)584号 決定

本籍・住居

広島県東広島市西条町大字上三永一四一七番地の八

会社役員

田中良三

大正一二年二月六日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五二年二月二二日広島高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人内堀正治、同松川雄次、同瀬戸康富の上告趣意第一点は、事実誤認、単なる法令違反の主張であり、同第二点は、判例違反をいうが、原判決は逋脱罪の既遂時期につき所論のいう確定時説をとつているとは認められないから、所論は前提を欠き、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 岸盛一 裁判官 岸上康夫 裁判官 団藤重光 裁判官 藤崎萬里 裁判官 本山亨)

○昭和五二年(あ)第五八四号

被告人 田中良三

弁護人内堀正治、同松川雄次、同瀬戸康富の上告趣意(昭和五二年五月一〇日付)

第一点 原判決には重大な事実誤認があり、ひいては法令の解釈適用を誤つた違法なもので、これらはいずれも判決に影響を及ぼすこと明らかであつて、右原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものである。

1 原判決は被告人に昭和四〇年、四一年分についての所得税法違反の事実ありと認めたのであるが、被告人は法人の代表者として行為していたものであつて原判決の誤りは明らかである。

即ち、被告人は昭和三〇年頃から主として建売住宅の販売を始めたが、昭和三六年二月一〇日、宅建業者を田中良商事の商号を以つてなし、広島市宝町に事務所を設けて、その後は広島市内及び周辺部の宅地造成分譲への事業を拡大していつた。

昭和三九年には、中野工業跡地、東及び西緑ケ丘等の分譲事業により大幅な利益をあげたので、これを基金として更に不動産業の拡大と事業の安定化を図るため株式会社の設立を考えたのである。

2 被告人は自己の右構想を知人の的場、佐久間あるいは実弟の里司らの親類縁者に話して協力を求めたところ、いずれも大いに賛同し積極的な協力が得られることになつた。

そこで翌四〇年初頭から早速会社の設立準備にとりかかり、同年八月ころまでには、右的場、佐久間、里司らの出資者や発起人ならびに定款の内容等も定まり、銀行等金融関係の取引先あるいは同業者や下請業者らの了解もとりつけ、ほぼ、会社の設立準備は完了した。

3 そして、同年九月に広島市的場町に事務所を開設して、幅約二メートル長さ約一五メートルの大看板を掲げて、それまでの田中個人の事業から設立しようとする興業不動産株式会社の事実上営業を切り替えて、会社としての活動を開始した。

同月一一日には、発起人や出資者から株式の払込みを受けて、正式に設立総会を開き会社設立の手続を終えると共に、今後資金面で援助を受ける銀行関係者や営業上協力を求めなければならない不動産業者等数一〇名を招待して盛大な会社設立披露パーテイを催し、今後は田中個人ではなく興業不動産株式会社としてその営業を引き継いでゆくことを一般に周知徹底させた。

4 このように同年九月以降、被告人はその事業をすべて会社に引き継ぎ、会社の代表者として行為していたのであり、同年一一月一一日には個人の田中良商事で受けていた宅建業の登録も抹消なし、翌一二日右興業不動産株式会社について宅建業の登録をした。

こうして右興業不動産は会社としての態勢を着々と固め、翌四一年三月には家主の都合から借りていた事務所を明渡すなどのこともあつたが、そうしたことにも耐えてその後も会社の業績をのばし、現在は広島市内においても有数の不動産会社に成長しているのである。

5 本件は企業が個人から会社に発展する過程における会社発足当初の代表取締役の営業活動を個人の活動ととらえることにより成り立つのではあるが、それはとりも直さず会社としての活動を否定することになるのであるが、それは被告人が昭和四〇年九月以降会社代表者としての意思で行為し、その営業活動によつて得た利益が、いわゆる温泉ケ丘、その他の土地となつて総て会社に帰属しており、それが今日の興業不動産をつくり上げる財政的基礎となつたという事実を無視することに他ならない。

もともと租税は形式的な名義のいかんにかかわらず、実質的に利益の帰属するところから徴収すべきものであるから、右営業活動から得た利益の総てを享受した興業不動産こそがその租税の負担者であつて、被告人個人としては何らの納税義務を有しないと言わねばならない。

6 被告人が会社代表者として行為し、昭和四一年三月以降も会社としての営業活動を継続しており、その活動から得た利益は総て会社に帰属していることについては、これまでも第一審の弁論要旨、第二審の控訴趣意書および弁論要旨等で再参詳細な指摘をくり返しており、これらは記録上明白であるので再説をさけてそれらの指摘部分を援用するが、こうした再参の指摘にもかかわらず原判決が事実を誤認するに至つた根源について考察しておく。

7 原審における田中里司証人の証言及び被告人の供述によつて明らかなごとく、当初広島国税局は被告人個人に昭和三九、四〇、四一年度の所得税の脱税ありとして個人所得担当の査察官を派遣して調査をなさしめたところ、昭和四〇年九月に会社が設立され、以後は会社による営業活動であることを知つたのである。

かかる場合、通常であれば個人と法人では所得の把握、調査等の方法が異なるところから、直ちに法人税担当の係官を派遣して法人税法違反の事実調査をさせるべきであつたのに、個人所得の担当官が被告人と「個人でゆくか、法人でゆくか」などと相談し、被告人が個人とすることに抵抗を示すと、昭和四〇年九月以降を法人とするのであれば徹底的に調べなければならないから調査が長期に及ぶとか、個人所得とした方が税金面や財産の帰属面で被告人に有利になるなどと言つて、半強制的、誘導的に被告人を説得し、結局査察官の都合に合わせ、昭和三九年度から四一年度までの所得を全部個人所得として処理して査察を終えたのである。

それ故に被告人及び参考人の供述は全て会社を無視し、個人営業一本にすることに統一され、事実を無視した無理な供述内容となつたのである。

8 更に、真実発見を旨とする検察官までが、こうした誤つた査察方針に引きずられて、会社の存在という社会的事実を無視した捜査をとげたものであるから、裁判所における審理判断を誤まらせることとなつたのである。弁護人としてはかかる誤つた証拠を弾劾すると共に会社の実在、会社の営業活動、右営業活動による利益の一切が会社に帰属している事実等について当時興業不動産の営業活動に従事していた証人や右会社の会計帳簿等の書証により、更に立証をつくすべく準備していたのであるが、なぜか原審裁判所はこれらの立証活動を制限したうえ、被告人の個人営業であるとの一審における苦しい事実認定を維持したのである。

しかしかかる訴訟指揮は物事を中途半端な証拠もしくは一方的証拠でもつて判断しようとするものであつてとうてい承服し難く、まさに審理不尽の違法ありという他はない。

9 このように原判決には会社の営業活動を個人の活動とした事実誤認があり、ひいては法人の行為に所得税法を適用した法令違反が認められ、さらには必要な証拠を制限して調べを尽さなかつた審理不尽があるのであつて、とうてい維持されるべきものではない。

第二点 原判決は最高裁判所の判例(最決昭和三一年一二月六日刑集一〇巻一二号一五八三頁、同昭和三三年八月一二日刑集一二巻二八一六頁、同昭和三八年五月二九日裁判集一四七号四〇一頁、同昭和四一年七月一二日刑集二〇巻六号五六七頁、最判昭和三六年七月六日刑集一五巻七号一〇五四頁)と相反する判断をしたものであつて破棄されるべきである。

1 被告人の行為は法人の代表者としての行為であつてなんら所得税法による処罰を受くべきものではなく無罪であると信じるが、仮りにしからずとするも、原判決の認定事実ではいまだほ脱したとは言い難く未遂にとどまるものである。

2 即ち、ほ脱犯の成立には税を免れたという結果の発生を必要とするが、いかなる状態において国家の租税収入を減少せしめるべき結果が発生したと見るかについて二つの対立した見解があり、一はいわゆる確定時説であり、他は納期説である。

確定時説によれば租税収入を減少せしめた事実を納税義務の確定段階において捉えるのであるが、原判決はいずれも虚偽の確定申告書の提出をもつて租税をほ脱したと認定しているのであるから確定時説によつていること明らかである。

3 前記最高裁各判例のとる納期説によれば、法は所定の期限までに所定の税額が納付されることを期待しているのであるから、法の期待する時期すなわち納付期限までに、その期待する税額についての納税義務が現実に履行されなかつたときに、はじめて脱税結果の発生があつたものと見るのである。

4 したがつて前記最高裁判例の立場からいえば原判決の認定した虚偽の確定申告書を提出したと言うのみでは、いまだ納付期限までに期待すべき正当な税額が納付されたのか否かが明らかではなく、単なる未遂形態にすぎず、既遂のみを処罰するほ脱犯としては無罪という他はない。

5 以上のとおり原判決は前記最高裁各判例とはほ脱犯の成立について異つた立場を採用した結果、被告人を有罪としたものであり、破棄さるべきものである。 以上

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